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神戸地方裁判所 平成9年(ワ)1367号 判決

第一事件原告

松本三郎こと金璟石

被告

岡部忠昭

第二事件原告

松本三郎こと金璟石

被告

富士火災海上保険株式会社

主文

一  第一事件被告は、原告に対し、金三一九万七八〇九円及びこれに対する平成七年一〇月二四日から支払済みまで年五分の割合の金員を支払え。

二  第二事件被告は、原告に対し、金二二四万円及びこれに対する平成九年一〇月九日から支払済みまで、年五分の割合の金員を支払え。

三  原告の第一事件被告に対するその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用はこれを四分し、その三を原告の、その余を被告らの、各負担とする。

五  この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一原告の請求

一  第一事件

第一事件被告は、原告に対し、金九三三万一八五七円及びこれに対する平成七年一〇月二四日から支払済まで年五分の割合の金員を支払え。

二  第二事件の請求

第二事件被告は、原告に対し、金二二四万円及びこれに対する平成九年一〇月九日(訴状送達の翌日)から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  原告は、後記の交通事故により負傷したとして、加害車両の保有者である第一事件被告に対し、負傷による損害賠償を求め、加害車両が加入していた自賠責保険の保険会社である第二事件被告に対し、自賠法一六条に基づき右損害のうち後遺障害に因るものにつき保険金額の限度で直接支払を求めた。

二  争いのない事実等

1  交通事故の発生(以下「本件事故」という。)

事故の日時 平成七年一〇月二四日

事故の場所 神戸市灘区浜田町四丁目三番一八号先交差点

被告車両 第一事件被告岡部忠昭(以下「被告岡部」という。)が所有し、運転する普通乗用自動車(神戸七八ね六七〇〇号)

原告車両 原告が運転する普通乗用自動車(神戸七七む一〇四号)

事故の態様 進路前方の信号待ちのため停止していた原告車両に被告車両が追突した。

2  責任原因

被告岡部は、被告車両を所有し、自己の運行の用に供していたから自賠法三条に基づき、原告の負傷による損害について賠償責任を負う。

第二事件被告富士火災海上保険株式会社(以下「被告富士火災」という。)は、本件事故当時、被告岡部との間に被告車両について自賠責保険契約を締結していた。

3  損害の填補

原告は、本件事故による人身被害の損害填補として、被告富士火災から自賠責保険金一二〇万円を、被告岡部から二一五万円を、合計金三三五万円の填補を受けた。

三  争点

1  原告に生じた負傷及び後遺障害の部位、程度

2  原告の損害額

四  争点に関する原告の主張

1  原告は、本件事故により、頸部捻挫、右第一〇肋骨骨折及び全身打撲等を負い、右第一〇肋骨骨折部の頑固な神経症状、右肩関節の機能障害及び右肩関節部の頑固な神経症状を残すこととなった。そして、右後遺症は、自賠法施行令別表の後遺障害等級表第一二級(以下においては、単に等級のみ示す。)に該当する。

2  このため、原告は次の損害を受けたから、被告岡部に対して、その賠償を求める。

(一) 治療費 金七万五六四〇円

(二) 通院交通費 金二一万八〇四〇円

(三) 休業損害 金四三五万三八五三円

原告の事故前三か月間の平均月収は金二四万二三一五円であった。

平成七年一〇月二五日から平成九年四月二三日までの一七か月と三〇日の間、原告は就労不可能であった。

よって、その間の損害は次のとおりとなる。

242,315×(17+30÷31)=4,353,853

(四) 逸失利益 金三二三万四三二四円

原告の事故前三か月間の平均月収は金二四万二三一五円であった。

前記後遺障害による労働能力喪失率は一四%、就労可能年数は一〇年(新ホフマン係数七・九四五)である。

よって、右による損害は次のとおりとなる。

242,315×12×0.14×7.945=3,234,324

(五) 慰謝料 金四〇〇万円

(六) 弁護士費用 金八〇万円

3  また、被告富士火災に対しては、後遺障害一二級の保険金二二四万円を請求する。

五  争点に関する被告らの主張

1  原告が事故当日に受診した西病院のカルテ(丙第五号証)には、右第一〇肋骨骨折を窺わせるような愁訴の記載はなく、翌日に受診した小原病院のカルテ(丙第一号証)も同様であって、本件事故によって、右第一〇肋骨骨折が生じたとは認められない。

2  仮に右傷害が本件事故によって生じたとしても、原告にはレントゲン上は骨折像が認められるものの、変形せずに癒合しており、骨折部分で変形した骨が神経を刺激したり、筋肉の伸展を妨げているような事情は認められないので、原告にその骨折部の頑固な神経症状が残存するはずがない。

3  また、原告の右肩関節については、骨折、脱臼、筋断裂の所見がないのであるから、このような傷害を原因とした神経症状及び機能障害が発生するはずがない。

4  結局、原告の主張する後遺障害の症状は、レントゲンその他の検査所見の裏付けがない。

5  また仮に原告の主張する後遺障害が存在するとしても、原告には変形性脊椎症の所見があるので、右後遺障害のうち何ほどかは原告の変形性脊椎症に帰因するものであるから、民法七二二条を類推適用するべきである。

第三争点に対する判断

一  初めに受傷後の診療経過を見る。

原告本人、甲四、一二、丙一ないし三、五によると、次の事実が認められる。

1  原告は、平成七年一〇月二四日の事故当日、康雄会西病院で診察を受けた。頸部の筋緊張があり、前屈・後屈の痛みがあり、頸椎捻挫と診断されて、湿布処置を受け、頸椎カラーを装着し、投薬を受けた。翌二五日には小原病院を受診し、全身打撲、頸部捻挫、第一〇肋骨骨折との診断を受け、以来、同病院に通院した。

全身打撲の点は、頸部から右肩にかけての痛み、背部の痛み、右前胸部、右背腰部、右大腿部の痛みが訴えられているが、内出血等が観察されたとの記録はない。

2  通院は、一〇月は二回だけであったが、一一月には二三回、一二月は二二回、平成八年一月は一五回と頻繁に通院し、二月にも二四日まで八回通院した。通院中、週に一度程度の割合で医師の診断を受けた際には、頸部の凝り、頸部痛、右肩痛、右手のしびれや、挙上困難を訴えることが多く、ときに右大腿部痛を訴えることもあった。治療としては、頸部の牽引等の理学療法を受けていた。

3  小原病院へは平成八年二月二四日を最後に通院を中止し、その後原告は医療機関で治療は受けなかった。

この点について、原告は、小原病院に通院しても治る気配がなかったため、高村某なる指圧師に週に二回、自宅へ来てもらっていた、と供述する。原告はこの指圧師は死亡したと供述するが、そのような人物が居たことを含め、その供述を裏付ける資料は一切提出されていない。経済的問題があったと供述しながら、自賠責から治療費が支払われていた小原病院への通院を止めて、右指圧師の施術を受けたというのも解せない。

4  原告は、三か月後の同年五月から小原病院への通院を再開した。同月は二回だけであったが、六月から翌九年四月まで、月に六回ないし一〇回の通院を続け、機能訓練や低周波等の治療を受けた。一週間に一度程度医師の診察を受け、右頸部痛、右肩痛などを訴えていた。一一月には胃カメラ検査を受けて、潰瘍、ポリープが発見された。平成九年四月二三日まで通院した。

5  平成八年一〇月二八日には、小原病院で変形性脊椎症との診断名が加えられた。

6  原告は、平成九年四月二三日付けで、小原病院三輪医師から、後遺障害診断書の発行を受けた。これによると、自覚症状として右手の可動域制限、疼痛により右手で重量物が持てない、右上腕の疼痛・腫脹・しびれ、頸部の重い感じがあった。検査結果としては、レントゲン上肋骨骨折は癒合している。握力は右が三六kg、左は四七kgと測定された。肩関節は、屈曲が右一一〇度、左一八〇度、伸展は右一〇度、左五〇度、外展は右七〇度、左九〇度と、右肩関節にかなりの運動制限があった。

7  原告は、右診断書を提出して自賠責保険での後遺障害の認定を求めたが、後遺障害に該当しないとの判定を受けた。

そこで、原告は同年七月五日、再び後遺障害診断書を小原病院奥野医師に発行して貰った。これによると、主訴は、右肩機能障害、頸痛、背屈・回旋痛、右胸痛であり、骨折癒合は良好であるが右胸部骨折部及び右肩に頑固な神経症状を残す、とされた。

二  争点1(原告に生じた負傷の部位、程度)について

1  右第一〇肋骨骨折

確かに、事故当日受診した西病院のカルテ(丙五)には、専ら頸部の疼痛が訴えられ、頸部の緊張が見られたことを示す記載があるのみで、胸部痛の訴えの記載はない。しかし、小原病院のカルテ(丙一)には、事故翌日の一〇月二五日の診察時に、右第一〇肋骨付近の疼痛を訴えていたことを示すスケッチがあり(丙一の五枚目裏)、二日後の一〇月二七日の図にも同様の記載がある(同二枚目表)。そしてこのカルテ表紙傷病名欄には、「右第一〇肋骨骨折、開始・一〇月二五日」と記載され、現に、原告が警察に提出した同月二五日付けの同病院大森医師作成の診断書(丙四の一三頁表)には、傷病名として「全身打撲、頸部捻挫、右第一〇肋骨骨折」との記載がある。これらの事実に、原告本人尋問の結果を総合すると、原告は、本件事故によって、右第一〇肋骨骨折の傷害を負ったものと認めることができる。

2  骨折の後遺障害としての胸部疼痛

奥野医師作成の後遺障害診断書(甲四)には、「骨折部に頑固な神経症状を残している」との右記載があるほか、同医師は原告代理人からの問い合わせに対し、肋骨骨折が変形なく癒合しても、疼痛は残存し得る、ただし客観的な示標はなく、正確な評価は困難である、と回答している(甲九)。

けれども、前記の小原病院の診療録(丙一ないし三)によると、レントゲン上肋骨骨折が見出されてはいるものの、胸部痛が訴えられた旨の記載があるのは事故の二週間後の一一月六日までで、それ以降は、頸部痛の訴え等は繰り返し記載されているのに、胸部痛については一切記載がなく、奥野医師も保険会社に対して、肋骨骨折は平成七年一二月ころ治癒したと判断すると回答しており(丙二の三〇頁)、骨折部が完全に癒合していることからすると、肋骨骨折は軽度のもので、完全に癒合しており、前記診断書に記載されたような頑固な神経症状としての胸部痛が、後遺障害診断時に残存していたとは認められない。

3  右肩関節の機能障害及び右肩関節部の疼痛等

被告らは、原告の右肩関節に、骨折、脱臼、筋断裂等の所見がないから、原告主張のような後遺障害は発生するはずがないと主張する。

けれども、前記のとおり小原病院での後遺障害診断書によると、原告には、右肩関節の機能障害及び右肩関節部の神経症状が残存しているとされている。そして、小原病院のカルテ(丙一ないし三)によれば、原告は本件事故当初より後遺障害診断を受けた平成九年四月二三日まで、一貫して繰り返し右肩痛や右手のしびれを訴えていたこと、各診断における関節機能障害検査では、いずれも屈曲、伸展及び外展につき右肩の可動領域が左肩と比べかなり狭くなっているが、こうした関節部の運動障害は疼痛等の神経症状に比べれば、客観性のある症状であること(甲九)からすると、右肩の関節機能障害や疼痛は、原告に見られる症状であり、本件事故により生じた後遺障害と言うことができる。

4  変形性脊椎症の寄与について

被告らは、原告には変形性脊椎症の所見があるので(丙二の一頁表)、原告の後遺症のいかほどかは、この原告の持病たる変形性脊椎症に帰因するものであると主張する。

右の小原病院のカルテでは、平成八年一〇月二八日に変形性脊椎症との診断名が加えられて表紙に記載されているが、本文には、その診断根拠となった主訴、観察あるいは検査結果の記載がなく、それがどのような根拠に基づくかは、カルテの記載からは不明である。

けれども、カルテの性質上、右記入は同病院の医師が行ったものと解され、事故の当初から、原告を継続して観察してきたところにより、その治療経過等から、その当時の症状が本件事故によってのみ発生したと見ることができないものとして、原告の年齢や症状経過、あるいは原告のレントゲン写真(右病名追加時に撮影したものではないが)等から、変形性の脊椎症が寄与していると診断したものと推定できる。

そしてこの診断は、原告が本訴提起後に診断を受けた荻原みさき病院でも、外傷性頸部症候群との診断名のほかに、変形性脊椎症、腰部椎間板ヘルニアと診断されていること(甲一一)からも裏付けられている。

そして、先に認定したとおり、原告は本件事故後五か月ほどでいったん治療を中断していること、握力は後遺障害診断時に、右手が三六kg、左は四七kgと測定されているけれども、事故の二か月後の平成七年一二月一六日の検査では、右が四八kg、左が四七kgと記録されており(丙一の二五頁)、事故直後の急性期を過ぎた二か月目ころには格別異常はなかったのに、事故後時間が経過するほどに悪化したことになり、本件事故にのみ起因しているとは言いがたいことなどからしても、原告の脊椎の変形が、その症状の発現に寄与しているものと解するのが自然である。

そして、右に見た症状の変化や、治療経過等からすると、原告の肩関節機能障害や疼痛には、原告の素因である脊椎の変形が四〇パーセント程度寄与しているものと認定するのが相当であって、民法七二二条を準用して、右の割合で相殺することとする。

三  争点2(損害)について

1  治療関係費

(一) 治療費 金七万五六四〇円

甲五の一二によると、原告は小原病院に治療費等として金七万五六四〇円を支払ったものと認められる。

(二) 交通費 金二一万八〇四〇円

甲六によると、原告が小原病院に一日通院すると、交通費を往復で一三八〇円要することが認められる。また、甲二、三、丙一ないし三によると、原告は本件事故の翌日である平成七年一〇月二五日から平成九年四月二三日までの間、小原病院に一五八回通院したことが認められる。

そうすると、右二一万八〇四〇円は本件事故と因果関係のある支出として、原告が損害を被ったものと言える。

2  休業損害 金四三五万三八五三円

甲七によると、原告は有限会社舞子運送に自動車運転手として勤務していたもので、本件事故に遭う前三か月の原告の給与手取額は合計金七二万六九四四円、一か月平均額が金二四万二三一五円であったことが認められる。

また、甲二、三、七、一四によると、原告は、本件事故による受傷と治療のために、事故の翌日平成七年一〇月二五日から後遺障害診断をうけた平成九年四月二三日までの一七か月と三〇日の間、有限会社舞子運送に籍を置いてはいたものの、就労することができず、同社からは賃金の支給を受けることができなかったことが認められる。

そうすると、この間の休業による損害は、金四三五万三八五三円となる。

242,315×(17+30÷31)≒4,353,853

3  逸失利益 金二六八万二一四八円

前記のように原告の平均給与手取は月額二四万二三一五円であるから、年額にして二九〇万七七八〇円となる。

また前記のように、原告には、右肩関節の機能障害及び右肩関節部の神経症状の後遺症が残存し、自賠責後遺障害等級表一二級六号及び一二級一二号に該当すると言える。もっとも、原告本人尋問の結果によると、右手の現在の状態は自由に上げ下げができない程度であり、月に二度荻原みさき病院に通院し、痛みを和らげるブロック注射を肩、背中、腰に六、七か所射ってもらうと一週間程度は、頭痛や目のかすみがとれること及び現在は肩がズキズキ痛く張ってきたり、首が突っ張たり、背中が痛いという程度の症状であることが認められるところ、かかる状況からすれば、原告の後遺症は全体としても自賠責後遺障害等級一二級に該当するにとどまるもので、これによる労働能力の喪失率は一四パーセントと認めるのが相当である。

そして、症状の固定した平成九年四月二四日時点で五九歳であった原告は、前記認定の後遺障害の程度や変形性脊椎症の存在等からして、なお八年は就労可能であるにとどまるが、その間は本件事故の後遺症により前記の程度の労働能力の減退が続くものと認めるのが相当である。

そうすると、逸失利益は、新ホフマン方式により中間利息を控除すると、二六八万二一四八円となる。

2,907,780×0.14×6.5886=2,682,148

4  慰謝料 金三〇〇万〇〇〇〇円

本件事故の結果、原告は、頸部捻挫、右第一〇肋骨骨折及び全身打撲のため、平成七年一〇月二五日から平成九年四月二三日までの一八か月もの間、小原病院に通院したこと(実日数合計一五八日)、もっともこの間、平成八年三、四月の二か月間は、通院もせず、医療機関での治療を受けた形跡はないこと、通院中は、主としてリハビリ治療を受けていたが、胃潰瘍の診断を受けたこともあること、一二級相当の後遺障害を残していること、その他本件に現れた事情を考慮すると、本件事故により被った精神的苦痛を慰謝するには金三〇〇万円をもって相当とする。

5  素因による相殺

以上の損害小計は一〇三二万九六八一円となるところ、前記のとおり、原告の治療の長期化及び後遺障害の発症には、本件事故による傷害のほか、原告の素因である変形性脊椎症も寄与しているものと認められ、その寄与度は四〇パーセントとするのが相当であるから、その限度で、損害を減殺すると、六一九万七八〇九円となる。

6  損害の填補

原告が、本件事故の損害の填補として、自賠責保険から一二〇万円を、被告岡部から二一五万円を、それぞれ受領したことは当事者間に争いがないから、右合計三三五万円を右損害に填補すると、残額は二八四万七八〇九円となる。

7  弁護士費用 金三五万〇〇〇〇円

本件の事案の内容、審理経過及び認容額等の諸事情に鑑み、原告の本件訴訟追行に要した弁護士費用は、三五万円の限度で本件事故と相当因果関係がある損害と言える。

第四結論

以上の次第で、被告岡部に対する本訴請求(第一事件請求)は、金三一九万七八〇九円とこれに対する本件事故の日である平成七年一〇月二四日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるが、その余の請求は理由がないから棄却すべきである。

また、右の損害賠償金のうち、後遺障害等級一二級の自賠責保険の責任額である金二二四万円について、被告富士火災に対して直接支払を求める請求(第二事件請求)は、前記認定の後遺症による逸失利益や慰謝料からして、すべて理由があるのでこれを認容する。

(裁判官 下司正明)

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